
本日、妻が飲み会のため、ガストにてムスメと二人で夕食。
友だちと海岸でポーズをキメた、カラオケに行ったという話を聞くだけで、青春だなぁと思わず顔がほころんでしまった。
自分にもはるか昔に、こんな楽しいことがあったな。
カラオケでは昭和の曲もたくさん歌ったようだ。
昭和の曲といえば、高校生の彼女らにとっては、生まれるはるか前の楽曲。
そんな歌を歌うなんて、ちょっと不思議。
まぁ、今の時代、昔の歌も、その歌手が歌う映像も、YouTubeなどで簡単に観たり聴いたりすることができるから、割と身近なものなのかもね。
それに、今の歌手が、昭和の歌手や曲をリスペクトして歌っているし、現代風にアレンジも施しているので、聞き手も違和感ないんだろうね。
だから今の歌との垣根はあまりなさそうだ。
それでもムスメの口から「木綿のハンカチーフ」とか出ると不思議(笑)
だって、私の青春時代のイメージで言えば、5年も前の曲だと古いと感じたし、ましてや生まれる前の曲なんて、総天然色とモノクロぐらいの差を感じていた。
だけど2025年現在、今から20年ぐらい前の曲を聴いても、古いと思わないし、普通に聴ける。
うんっ?それってもしかすると音楽が「進化」してないから?
あるいは、自分の感性が20年前と変わっていないから?
前者であれば、寂しいことだし、後者であれば、自身の老化を嘆かざるを得ない。
老化を嘆くアラカンとしては、現代の歌において、歌詞や曲の展開、パフォーマンス等が複雑になっていても、歌の根幹となるメロディーの良さや、曲から発せられるエネルギーが過去を超えていないからではないのかと考えたりもする。
後者でないことを切に願う。
いずれにしても、共存しているのは素晴らしいことだし、昭和の曲をこの時代にも聴けることは、大変嬉しいことだ。
ちなみにここで言う、または世間一般でいう「昭和」は「昭和40年代後半から昭和の終わり」ぐらいのことを指している場合が多いと思う。だって、長い昭和の中の初期から戦後、昭和30年代、40年代前半の曲はあまり注目されていない気がする。
まぁ、「昭和40年代後半から昭和の終わり」って、歌謡曲が成熟して、アイドル(像)も成熟~終焉に向かっていったぐらいの時代だよね。その後はSMAPのような新たなアイドル像が形成されていき、ロックバンドが一般化して、曲自体が変わってきた気がするなぁ。